どんよりと雨が降ってます
7月なのに梅雨明けはまだ。
そのせいか気分もどんよりです。
ブログ
ブログを開始してもうすぐ1年。
記事を書くことも少なくなり、そろそろ終わろうかどうしようか考えてます。
一時は夢中になったアドセンスも気持ちは下火。
人生が短いならアドセンスなんてしてる場合じゃないわ。
収入がほしいならアドセンスよりFXかな。
この1年くらいでのアドセンス収益はうまい棒200本くらいでしょうか。
以前のブログの収益が700本くらいあったので振込は1回ありました。
FX収益があるのでアドセンスはどうでもよくなったという気もします。
ブログ記事を書く気力がないのかもしれません。
あともしかしたら無意識的に右手を動かしたくないのかもしれません。(頚椎が悪いため)
でも書くことで気持ちの整理できるし、気づきもあるかもだし。
あと忘れっぽいので備忘録として役立つ。
続けようかな。どうしようかな。迷っちゃいますね。
もう少し考えたいと思います。
久々にリハビリ日記です。
リハビリ
ここのところ2週間くらいは、デイケアの個別では、3~4回立ち上がることができるようになりました。
7月16日(木)のリハビリでは、足裏全体の着地感がけっこうありました。
それまでは足裏がついてるかどうかわからないくらい足の感覚が希薄だったので、強い足裏の感覚はうれしかったです。
・お尻の筋肉の刺激
・座骨をしっかり立てて、骨もつかっておじぎをすること。
上の2つが重要だったようです。
4月以降、悪くなり以前のようには戻らないと思ってたのですが、足裏の感じが少しわかるようになりよかったです。
通院
7月21日(火)定期通院
頚椎手術はリスクが高くてできないということもあるが、両手が動かなくなるとたいへんなので症状が悪くなったら考えたほうがいいとのこと。
症状が悪くなったらすぐ来てくださいとのこと。
足が不自由なうえ、手が使えなかったら何にもできない。
先を考えると悲しくなる。
失ってばかりの人生なんて何だろう?と思う。
何もできなくなったら生きる意味はあるのか・・・
昔、まだ若いころ、”寝たきり”になるなら生きていたくないと思ってた。深刻に考えてたわけじゃないけど、保険のパンフレットを見ながら思った記憶がある。
病気になり始めの頃、体は不自由だけど、娘がいるから生きていなければと思った。できることは少なくなったけど、親として困ってるときに助けてあげられるし、話してあげられるし、まだ生きたいと思った。
この頃、娘には支えてくれる彼氏がいるらしいし、(私から見たら頼りないダメンズ男だけど 娘が選んだ男)母親の役目が終わりつつあるのかも。あとは介護で負担をかけるだけだから・・・などなど安直に考えたりしはじめた。
一人目の彼氏で結婚までゴールインするとは安直に考えるのもどうかな?とも思うけれど。
以前は親子べったり仲良かったのに、彼氏ができて娘の親離れが加速度的に進んだ。
以前なら神様に”どうか寿命を延ばしてください” とお願いしてたけど、”延ばさなくてもどっちでもいいです” という心境になってしまったこの頃です。両手の機能を失うなら早めに終わりにしたい・・・と思ってしまいます。
安楽死事件
筋萎縮性側索硬化症(ALS)の50代女性の嘱託殺人事件があった。
被害者の女性はALSでかなりつらい状況だった。
まばたきも自力ではできなかったそうだ。
週刊誌の記事を読んだが、お医者様などに死にたいということを訴えて相談していたようだ。
胃ろうからの食事を断ちたい とも伝えたりしていた。
でも断つことはできないので、600キロカロリーに抑えて弱るのを待つ というようなことも書かれていた。
食事を抑えて体を弱らせることも、消極的な死に方だそうで。
殺人はいけないことだけど、”安楽死・尊厳死”について深く考えさせられます。
過去の裁判事例で医師による積極的安楽死として許容されるための4要件があげられたそうだ。
患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいること
患者は死が避けられず、その死期が迫っていること
患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くしほかに代替手段がないこと
生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること
もしも安楽死ということが許されるなら、きっと私は安楽死を選ぶだろうと思う。
だけどそれが、命の理に反していることかもしれず、人間が決める結論ではないのだろう との思いは大きい。
もしも安楽死を決断したとしても、きっとあの世で後悔するのだろう という気がする。
深刻な内容になっちゃいましたが、気分を入れ替えて明るく頑張ります!
体調のことや娘のことなど落胆が大きくてネガティブに考えてるみたいですが、落ち着いてみようかな。何か新しいポジティブな方向がみつかるかも。